昔から歴史がめちゃくちゃ苦手……。
特に数字に激弱なので、受験やテスト勉強の年号暗記が苦痛でした。
でも大人になって、たまたま覚えてる年号近辺の出来事は「ああ、コロンブスの○年後なんだぁ〜」とか起点となる出来事から何年後みたいな流れで覚えると、意外と楽しいということを発見!!!
ということで、今回はまず江戸→明治の区切りを覚えてみようかなと思います!
[1854 日本開国]ペリーさんのお"こし"デ〜ス
日本史・世界史の比較でいうと、エポックメイキングというか目印の起点になるのはやっぱり「開国」。
年号が出てきたときに、
ああ、開国の5年後の出来事か……とか。
開国からここまで7年かかったのか……とか。
この方が、普段の生活思考に近くて体感しやすいんですよね。ああ、震災からもう何年経つのか〜という時間感覚に当てはめられて。
ま、そんな世界史とか年号比較に便利!
1854年 日本開国
ということで。無理矢理ですが。笑
ちなみにペリー来航(黒船来航)自体は、その1年前。本当は、ペリーは砲撃権を与えられてなかったみたいですね。
デモ、モウ時効デスネー!テヘペロ(古)!
……テヘペロ、かどうかは定かではないですが。
日本史の中では、他にもいろいろ受験的な重要年号はあるけれど。今まで興味がなかった海外の歴史を調べたり理解する上で「そのとき日本は…」の比較として、日本の開国を基準にするとイメージしやすいかなと。
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開国 - Wikipedia
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日米和親条約 - Wikipedia
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[1867 大政奉還]ムナ騒ぎの大政奉還
次に日本史のなかでの基準にしやすいエポックメイキングな出来事は、やっぱり「江戸時代の終了」ですかねぇ……。
江戸時代って始まりは、関ヶ原の戦いが1600年でめちゃキリがいいからそこを基準に覚えやすいのですが、終わりの方はなんか、ごちょごちょいろいろあってよく覚えられず……。なので、区切りの基準年号をひとつ決めてこれを機に覚えちゃおうかなーと。
ということで、ドン!
1867年 大政奉還
関係ないけど、wikiにある徳川慶喜の写真って、どことなく小泉孝太郎に似てますよね〜。
一方、この慶喜、同じ10月14日に大政奉還を上奏し、翌15日に朝廷に受理された。このため討幕はその名目を失ったのだよ。
作戦勝ち!
(あぶないあぶない……冷や汗)
ちなみに、この胸騒ぎな1867年、というか「慶應3年」時系列で見ていくとなかなか胸熱な年……(旧暦ベース)
- 1月 明治天皇即位
- 4月 高杉晋作 死去
- 10月14日 倒幕の密勅 ←同日
- 10月14日 大政奉還 ←同日
- 10月 将軍辞職願い→受け入れられず
- 11月 坂本龍馬 暗殺
- 12月 兵庫港開港
- 12月 王政復古の大号令で将軍辞職(幕府終了)
ちなみに1867年というと、
1854年開国の7年後。
wikiの「幕末年表」から抜粋で見てると、さらに時代が動いてくサマがヒリヒリと感じられてきてむちゃくちゃ激アツです!
慶応3年
(1867年2月5日 - 1868年1月24日)1月9日(1867年2月13日) 明治天皇践祚。
4月14日(1867年5月17日) 高杉晋作死去
5月24日(1867年6月26日) 徳川慶喜、四侯会議を制し、兵庫開港の勅許を得る
5月25日(1867年6月27日)四侯側の敗北を受けて会議を開き、薩摩藩は武力倒幕の方針を固める
6月10日頃(1867年7月11日頃) 坂本龍馬、土佐藩参政後藤象二郎に大政奉還を含む船中八策を提示
9月18日(1867年10月15日)毛利敬親、討幕挙兵の断を下す。
10月3日(1867年10月29日) 土佐藩主山内豊範、大政奉還の建白書を徳川慶喜に提出
10月14日(1867年11月9日)岩倉具視、中山忠能と正親町三条実愛と中御門経之と画策して 討幕の密勅を薩摩藩と長州藩に下す
10月14日(1867年11月9日) 徳川慶喜、政権返上を明治天皇に上奏(大政奉還)。
朝廷、これを受けて薩長に倒幕延期の沙汰書を下す。これ以降、武力倒幕の大儀を失った薩摩藩の西郷隆盛は、相楽総三ら尊攘派浪士を用い、江戸で辻斬り・強盗・放火・強姦など凶悪犯罪を繰り返し、幕府側から戦端を開かせようと挑発し続ける
10月24日(1867年11月19日) 徳川慶喜、征夷大将軍辞職を申し出るが、朝廷はこれを認めず
11月15日(1867年12月10日) 坂本龍馬、中岡慎太郎、暗殺される(近江屋事件)
11月18日(1867年12月13日)長州藩世子毛利広封、薩摩藩主島津茂久と西郷吉之助と武力討幕の挙兵を計画
12月7日(1868年1月1日) ロンドン覚書に従って、兵庫が開港される。
12月9日(1868年1月3日)王政復古の大号令を発した。徳川慶喜の将軍職辞職を勅許、江戸幕府廃止、京都守護職・京都所司代の廃止、摂政・関白の廃止、新たに総裁・議定・参与の三職をおく
幕末好きの人の気持ちが、わかったような気がする!!
ちなみに話が変わるけど、
15代将軍慶喜といえば水戸の一橋家。
徳川家のサブ将軍候補のための御三家(尾張・紀伊・水戸)だというのに、実際にその御三家から出た将軍って、紀伊の吉宗と、最後の水戸一橋の慶喜のみ!というのも何気に意外でした。筆頭の尾張からは出てないっていうね。
いや〜、wiki見てるだけで、
漫画見てるみたいに楽しい!!
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大政奉還 - Wikipedia
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幕末の年表 - Wikipedia
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[1868 明治元年]ロッパァァアア!
大政奉還のあと、まあ明治時代になるわけですが討幕やら明治維新やらごちゃごちゃしてて結局いつから明治時代なのかよく知らず……。
ということで、
1868年 明治元年
父天皇が崩御し、あとを継いで践祚(せんそ…と読むらしい)したとき、その時点では明治天皇はまだ元服前の満14歳だったそう。
でもってタイミング的には、上にも引用した「慶応3年」の幕開け。そこからもう怒涛に倒幕へ動きまくる日本!!!大政奉還やらがあって年末に王政復古の大号令があったところで、年が明けて慶応4年に、元服して正式に明治天皇として即位するわけです。
そして西洋(ヨーロッパ)に追いつけ志向だった明治時代へ、
もはや、もう……語呂合わせが無理やりなので、
オレの言うことが聞けんのかーーーーっ!!!!!!
(すまねえ……つい調子に乗っちまって。)
まあ、ヨーロッパに追いつけ明治元年、とかでもいいんですけどね。覚えられれば。
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1868年 - Wikipedia
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明治天皇 - Wikipedia
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年号暗記はなかなか大変……
昔は、人の名前でもなんでも覚えたり暗記はどちらかというと得意だったんだけどな〜。アラフォーになると記憶力の劣化がほんとやばくて・・・新しく何かを覚えるのがこんなに不得意になるとは……(T_T)
という中で、、、、
ちなみに私が「倭の奴国の金印」を覚えたのはコレ!
https://www.youtube.com/watch?v=d1chZp_hZH0&list=PLdrviD9zKpOvRMewfHzss-AaSY8drLG39
絵のチカラっていうのはすごいですね〜。
インパクトあって一発で覚えた!
私もまたちょくちょく、節目をおぼえる年号暗記、頑張っていこうと思ってます。